今でこそ、シングルと言えば正方形のマキシシングルが当たり前だ。しかし'94年当時、シングルは8cm で、ジャケットは長方形が主流だった。
2ndアルバム『すっとばす』リリースを機にウルフルズの評価は高まった。同業のミュージシャンからも各メディアからも、今までにない真っ当にアーティストとしての注目を集めるようになった。ディレクターの子安は、この良い流れをリスナー層に広げるべく新たな手を打った。それが、業界初のマキシシングルのリリースだった。きっかけは、営業的な発想によるものだった。というのも、リリース枚数の少なさから、CDショップの棚にウルフルズのコーナーはまだなかった。メディアを通して少しでもひっかかったリスナーを逃さないためにも、CDショップでのスペースの確保は命綱と言えた。そこで、曲数を通常の2曲から1曲増やし、サイズも大きくする。かつ、単発ではなく連続でリリースする。そうすれば否が応でもスペースは確保される。「マキシ大作戦」と題し、'95年3月17日『トコトンで行こう!』、5月24日『大阪ストラット(パートⅡ)』、7月19日『SUN SUN SUN '95』の3枚が連続投下された。これにより、バンドのキャラクターはさらに浸透することとなり、売上げ枚数自体はさほどでもなかったが、期待値は限りなく“ブレイク”へと高まっていった。

そんな中で、ウルフルケイスケはひとりもがいていた。伊藤銀次の言う音楽の本質に辿り着けなかったという後悔、しかしバンドの評価は高まっていくという個人的には逆説的な結果、そして何より他のメンバーとの距離……そんな何もかもがケイスケ自身を追い詰めていった。
「(レコーディングで)自分が出来てへんことがあったっていうのは引きずってて、気持ち的にメンバーと同じところまで行かれへんかった。それでどんどん自分の中に閉じこもっていった」(ケイスケ)
なんとか、自分の気持ちを奮い立たせるべく、高価なアンプを購入してみた。しかし、駄目だった。ケイスケは当時の胸の内を明かす。
「もうアカンかった。アカンって言う気持ちしかなかった」
そして、森本の元にバンド脱退の意思を伝えに行った。
「森本さん、もうアキませんわ、僕」
「アカンか……ケイヤン」
会話にならなかった。メンバーにも話した。同じようにその場に会話と呼ぶべきものは何もなかった。その時のことをトータスは振り返る。
「同情する気持ちと同時に、ホンマに何してんねん、みたいな歯痒い気持ちがあった」
トータスがその時抱いた感情は、プレーヤーとしてのケイスケに、というよりも、かつてバンドを共に始めた仲間、“岩本さん”“ケイヤン”に対してのものだった。
「ケイヤンに辞めるって言われてから俺も大分考えた。そしたら“これ間違ってるんちゃうか”って言う気がしてん。ウルフルズって元々何がしたかったんやろう?って。確かに、銀次さんが言うようにヒット曲は作りたい。せやけど、そこにケイヤンがおらな意味が無い。リーダーやし、ウルフルズの根本を作った本人やないか。絶対に置いていかへんぞって思い立ったんやな」(トータス)
トータスはケイスケの家に電話をかけた。
「何してんのー?」
「何もしてへん」
「今から温泉行こか?」
ふたりで小田急線に乗った。車中、どこかぎこちない空気が流れる。ウルフルケイスケとトータス松本。この奇妙なふたりに気づく者は誰もいない。そしてこの旅が(と言っても極々小規模のものではあるが)何を意味するのか、ふたりにはまだ分からなかった。
夜の9時頃、鶴巻温泉という駅で下車した。神奈川県秦野市にある東京から最も近い湯治場である。適当な宿を見つけた。食事は近くの中華料理屋で済ました。宿の温泉に入り、部屋に戻ると、6畳ほどの座敷に蒲団が2組敷かれており、蒲団と蒲団の間には止せばいいのに安っぽい行灯風の照明がサービスされていた。ふたりの脳裏に「連れ込み宿」という言葉が同時に浮かんだのは言うまでもない。とても寝る雰囲気ではなかったし、そもそも温泉宿に一宿を求めて来たのではない。宿への愚痴や他愛もない話は、自ずと核心へと向かっていった。以下は、トータスとケイスケ両名による取材を元に再現した会話である。
●
「松本君、俺な、やるだけのことはやったつもりやねん」
「やるだけのことって?」
「ああいうとこは直さなアカン、こういうとこも工夫せなアカンって、全部やったつもりや。せやけど、なんか違うねん。自分の思い描いてた音楽じゃないような気がすんねん」「…………」
「松本君は、ええなあ……。ちゃんと評価されて調子良くやれてて」
「俺もまだ何も掴めてないよ。そう見えるかもしれんけど、実は何も掴めてない。マキシシングル作ってる過程でも何回も辞めたろうって思ったし、もっと言えばいつ辞めるかわからへん。けど、ホンマに辞めたいってとこまでまだ来てへん。なあ、ケイヤン。ホンマにもう心の底から辞めたいっていうところまで行ってんのか?」
「…………」
「仮にどうしようもないところまで行ってるんやとしても、俺は認めへん。もう1回やろう」
●
1、2時間仮眠を取って、宿を後にした。ケイスケは「やる」とも「辞める」とも言わなかった。ただ、ふたりにとってはこれで十分だった。トータスは、ケイスケの味方に徹しようとした。事実、伊藤銀次に次のようなことを話したと言う。
「銀次さんがいなくなってもウルフルズはあるけど、ケイヤンがおらんようになったらウルフルズは無いんです。銀次さんとは一緒にやっていきたいけど、そのためにケイヤンを捨てるわけにはいかないんです」
伊藤は、トータスに言われるまでも無くわかっていた。それは2ndアルバム制作の時にこのバンドの特異性を存分に垣間見ていたからだ。
「ある曲を録る前にメンバー同士で結構もめたことがあって。で、ケイヤンがなかなか上手く弾けなくて苦労してるところにサンコンがやって来て“ケイヤンがんばれよ~”って。そんなバンドいませんよ(笑)。普通ケンカ別れでしょ。彼らには確かな絆があるんですよ」(伊藤銀次)

ケイスケは、温泉に行って以来、どこか吹っ切れたような気がした。トータスと向き合ってしゃべることによって、すっきりしたと言うほうが正確かもしれない。
「一緒にやろうって言われて、すごいうれしかった。そう思ってくれてたんだと。僕にしてみたらものすごい意外な話やったから」(ケイスケ)
ウルフルケイスケとトータス松本。友達でもない。まして家族でもない。比喩としての恋人とも違う。それは、ウルフルズのケイスケとトータスという関係でしかない。その関係を成り立たせているものは、楽器の上手い下手ではない。過ごした年数の長さでもない。見えないが確かにそこにあるものを同時に掴んでいるかどうかということだ。もっと言えば、その掴むべき何かは、彼ら以外には掴むことが決して出来ないものだ。ケイスケはそれを「気持ち」と言う。トータスはそれが「ウルフルズ」なのだと言う。
歴史を逆から眺めれば、この事件は、『ガッツだぜ!! 』が生まれる直前に位置する。ケイスケとトータスがふたりして行った温泉の旅は、彼らが本当の意味でウルフルズになるための、最後の審判だったのかもしれない。
(2007年8月9日・16日号掲載)

コメント (4)
涙なくしては読みすすめられませんでした。
先日のヤッサでみた、あの場面がここに集結しているような気がして。
ウルフルズが私の中でゆるぎない存在になりました。
投稿者: よしおか | 2007年08月29日 21:19
日時: 2007年08月29日 21:19
私も、ヤッサでの最後のケーヤンの姿を思い出しました。
第1回から一気に読みましたが改めてウルフルズの魅力に引き込まれてしまいますo(^-^)o みんな大好きだ~!
こんなステキな連載をありがとうございます(*^-^*)
投稿者: ひなまろ | 2007年09月08日 14:35
日時: 2007年09月08日 14:35
この時期そんな苦悩があったなんて…
たまたまたどり着いた記事だったんですが、びっくりです。
そんな時期を表面上は全く見せず、
私達にファンキー&ファンシーな音を届けてくれた
ウルフルズに感謝です。
しかしこの連載はファンにはたまりませんね。
続編期待してます!
投稿者: しらたま | 2007年09月16日 01:15
日時: 2007年09月16日 01:15
「そこにケイヤンがいなくては、意味が無い」
号泣です。
ウルフルズって、お互い愛しあってる。そこに人を引き付けるものがあるんですね。
ウルフルズ、大すき
投稿者: Mahalo | 2008年10月31日 14:14
日時: 2008年10月31日 14:14