ウルフルズと伊藤銀次の格闘の日々が始まった。目標はただひとつ、「ヒット曲を作れ」という単純にして明快、そして限りなく手探りに近いものだった。作れと言われて作れるものでは当然ない。まして、これがヒット曲だという黄金律が存在するわけでもない。その答えは、あくまでウルフルズの中にしか存在し得ない。そのことがバンドにも伊藤にも、わかりすぎるくらいわかっていた。まず伊藤は、バンドはなんのためにやるべきなのかを説いた。
「君達が最初に音楽を聴いたきっかけは? それは誰かのヒット曲だったはずだ。まずはヒットさせたいという気持ちを持つこと。その気持ちがなければ、プロとして自分達の好きな音楽は永遠に出来ない。逆にその気持ちがあれば、やるべきことに到達出来る」
デビューして約2年。闇の中を疾走しヘタりかけていたウルフルズの目の前に一筋の光が射した。「自分の中にあるものをどう出したらええかわからへんかった。こうか? どうや? これか? 違うんか!? ほなこれは? どうやねん? なんで反応ないねん!……焦ってもうてて。それが銀次さんと話したら一気にモヤが晴れた」(トータス)
'94年の1月から3月にかけての3ヵ月間、伊藤とトータスの顔を付き合わせての曲作りが始まった。トータスは曲の原型が出来るとすぐに伊藤の自宅に持って行った。一番最初に形にしたのはアルバムのリード曲『すっとばす』だった。トータスが考えてきたフレーズを演奏する。それに対して伊藤が意見や要求を加えてジャッジする。さらにトータスが展開する。この繰り返しが延々行われた。そして、気が付くと今まで聴いたこともないような曲が出来上がっていた。伊藤は、少しづつ、確実にトータスの才能を引き出していった。トータスにとってもこの伊藤との曲作りは新しい発見に満ち溢れた楽しい日々だった。しかし、詞作の段階になるとその日々は地獄に変わった。基本的には曲作りの時と同じ。トータスの原型に伊藤のジャッジが加えられていく。違ったのは、伊藤を納得する言葉が中々見つけられないことだった。
「そんな普通の言葉でこの歌の気持ちは表現できない。いいものよりすごいもの、すごいものよりゴツいもの……もっともっと強い言葉があるはずだ」ヒット曲はそんなに生ぬる
いものじゃない。伊藤は妥協を許さなかった。書いても書いてもダメ出しをされた。

というくだりに当時のメディアの認識がわかる
ある日、渋谷のホテルの喫茶室で伊藤に歌詞のボツを喰らった帰り道、スクランブル交差点でトータスは全身の力が抜けて倒れてしまった。血尿が止まらなくなった。メロディを強力に武装する強い言葉、考えれば考えるほどわからなくなった。それでもヒット曲をものにするんだという意地だけで、すっかり枯れてしまった詞作の泉の底を掘り返して
いった。そして、こんな言葉が溢れてきた。
「ゴータマシッダルーダダイバダッタ世の中こんなもんだGo Now!」
『すっとばす』より
伊藤はこの言葉をトータスから初めて聞かされた時の衝撃を今でもはっきりと覚えていた。
「こいつは天才だと思いましたよ(笑)。どこからこんなフレーズが出てくるんだろうって。僕はいろんな人をプロデュースしてきましたけど、後にも先にも僕の投げかけたものにあんなに早くあんなにおもしろいことが返ってくるのはトータス松本しかいません」(伊藤)
伊藤はトータスの才能を的確に分析して語ってくれた。
「彼の才能っていうのは、メロディと言葉のマッチングの才能なんだよね。くっついてるんですよ。言葉にメロディが、メロディに言葉が。小さい頃からそういう風に曲が自分の
中で形になってる人間なんですよ」
先ほどのフレーズ、意味は不明だが、何度か繰り返し読んでいると自然とメロディが発生してくるような錯覚にとらわれる。言葉に音が後から追いついてくる(あるいはその逆の)ような不思議さだ。ところが、トータスの中では言葉と音が自然に、同時に、純然たる確かさで存在しているのだろう。
5月から、いよいよ2ndアルバム『すっとばす』のレコーディングが始まった。曲は出来た。あとは演奏だ。ウルフルズの持つ魅力である、ライブの熱狂と興奮、エンタテインメント性、それらをCDの中にどう刻み込むかが最大のテーマだった。それには、今までのような勢いではなく、確かな演奏力こそが要求される。そこで伊藤は、レコーディング
前に涙を呑んで言い渡した。
「黒田君はレコーディングでは使えないかもしれない。スタジオ・ミュージシャンでやることになるかもしれない」
ところが、レコーディング前のリハーサルでのこと。伊藤は曲のサイズを変えたり、新しいアイデアを付け加えたり、曲をその場でいじっていく。そうすると、みんな間違えてしまう。だが、黒田だけは1回も間違えなかった。
レコーディングが始まって、サンコンのドラムはすんなりと録れた。ベースは相変わらず時間がかかった。ただそれは、ダメだからではなく、どんどん良くなるからだった。
「今でも覚えてますよ。サンコンのドラムに釣られて黒田のベースも一緒になって暴れていってたから、言ったんですよ。『ベースは御者だ。ドラムの首に手綱をかけて引き戻すんだ』って。そしたら黒田が『わかったような気がします。もう1回やらせてください』って言ったんです。僕は黒田の後姿を見ながら音を聴いてました。そしたら、ドラムの後にピタッと吸い付くようにくっつきながらリズムを引っ張っていく、なんとも色っぽいベースになってて……。あの時は寒気がしましたね」(伊藤)

予想を超える手ごたえを感じていた伊藤の元に、ある提案が子安から持ちかけられた。大瀧詠一の名曲『びんぼう』をカバーしないか、というものだった。師匠とも言うべき大瀧の曲を自分がアレンジすることへのプレッシャーを感じながらも、伊藤は自らの運命に感謝した。伊藤銀次とウルフルズ、出会うべくして出会った宿命的な音楽の系譜。思えば伊藤自身もバンドマンだった。大阪から有頂天で東京に出てきて、その自信はもろくも崩れ去り、大瀧の下で、一からミュージシャンとしての基礎を築いていった。なぞればなんとウルフルズの歩みとダブる部分の多いことか。ただひとつ、伊藤はバンドマンとして成功することはなかった。
「これは、君の敗者復活戦だ」
伊藤は大瀧に言われたという。伊藤がウルフルズを成功させることの責任を自らの中に引き受けた瞬間だったのかもしれない。出来上がった曲は『びんぼう'94』としてアルバムに収録された。一度も大瀧から褒められたことがなかった伊藤は「俺のよりかっこいい」と初めてにして最高の賛辞をもらった。
歌、ベース、ドラムのバランスが整っていく中で、ずっと苦しんでいたのは、ケイスケだった。
「音楽は作業でやるんじゃない。ギターは頭で弾くんじゃない。もっと体で感じなきゃ駄目だ」伊藤の言わんとしてることはわかる。だが、それをどうすればいいのかわからない。考えていった曲やフレーズもことごとく却下される。ケイスケは悩み続けた。結局、答えは出ないままレコーディングは終わってしまった。
'94年8月31日、2ndアルバム『すっとばす』がリリースされた。メディアを中心にバンドへの評価が高まっていく中、ケイスケはどこか取り残されているような、名付けようのない感覚に囚われていった。
(2007年8月2日号掲載)


コメント (1)
こんにちは。世の才能ある人の話を集めています。トータス松本さんのように、人が思いつかない言葉やフレーズを思いつくというのも間違いなく才能ですね。人の心を動かせる詩人の如く。
投稿者: bonjin | 2007年12月27日 05:14
日時: 2007年12月27日 05:14