~ウルフルズ・メンバー~

トータス松本(vo)
 S41.12.28生まれ
 血液型:A型
 兵庫県西脇市出身

ウルフルケイスケ(g)
 S40.5.23生まれ
 血液型:A型
 大阪府高槻市出身

ジョン・B・チョッパー(b)
 S42.11.4生まれ
 血液型:AB型
 大阪府吹田市出身

サンコンJr.(dr)
 S45.9.13生まれ
 血液型:O型
 大阪府茨木市出身

同企画は雑誌『Weeklyぴあ』『ぴあ関西版』にて隔週連載中です。

第4回  ウィー・アー・タイスケ

 京都ミューズホールの楽屋に、森本は明らかに場違いな存在だった。元自衛官、現空間プロデューサーの肩書きを持つ森本からは、ロックやバンドといった匂いは一切感じられなかった。ただ、得体の知れないエネルギーがギラギラ放出されていた。
「大阪のクラブ・パラノイアの森本いうもんです。なんやうちのスタッフのミスでダブル・ブッキングしてもうて、ほんまえらいすんません」
ウルフルズの4 人は、この珍客に対してもてなす術も追い返す術もなく、受身にまわるしかなかった。
「ほんまうちのスタッフがえらい迷惑かけてもうて、勘弁してほしいんやー。パラノイアを悪う思わんとってほしいんやー。これな、出演料5万。受け取ってぇな」
森本はトータスの手に5万円を握らせ突風のように去っていった。数日後、クラブ・パラノイアの前ではスタッフがバラを持って立っていた。ダブル・ブッキングが判明したのが公演日の直前だったため、ウルフルズ目当ての客には情報が行き渡っていなかった。携帯電話もパソコンもまだない時代である。森本が考えた方法は、当日来てしまった客全員に「申し訳ありません」と謝りながらバラを渡すという、よくわからないが誠意だけは確かに伝わるものだった。そして、森本は、ライブでもCDでもなく意外な形でウルフルズの人気を目の当たりにするのだった。
「正直ね、そないウルフルズのファンおらんやろうくらいに思てたんや。そしたら、くるわくるわ。ビックリしてもうた。たかがアマチュアのバンドやのにこない人気あんのか、すごいなーって」(森本泰輔)

  森本はウルフルズをレギュラーで出演させることに決めた。ウルフルズにとっても怪我の功名とでも言うのか、クラブ・パラノイアへのレギュラー出演は願ってもないことだった。当時の流行の最先端を行く1000 人収容のクラブ、さらにスケジュールには、東京で話題のバンドが続々とラインナップされていた。東京進出への足掛かりを模索していた彼らにとって、パラノイアは十分魅力的だった。ウルフルズと森本。彼らを結ぶものが音楽ではなく、お互いの利害だったというところがいかにも大阪らしく、それこそが話をチープな美談ではなく劇的な実話へ誘うことになる。
「ええか~、松本君。今日はお客さんもぎょうさん入ってるしな、いろんな有名な人が出てるしな、ものすごいチャンスやで~。行ったるんやで~、やるんやで~」
「今日はな、ごっついイベントや。やったるんやで~」
「東京から業界の人がゴロゴロ見に来とるわ~。今日は勝負やで~」
 いつしか森本は、マネージャーのようなセコンドのような、ウルフルズに近しい存在になっていた。しかし、ケイスケやトータスはそんな森本をどこか胡散臭げに見ていた。
「毎日留守電に森本さんのメッセージが1 件入ってるのよ。『ピ~。松本君、元気でっか~。パラノイア森本です~。また電話します~。ピ~』今さっき会うてたやん! みたいな。行動の意味がわからへん。そうやと思たら、『君らどこのレコード会社からデビューしたいんや。好きなとこ言うてみ。ワシがデビューさせたるから』とか言うわけ。そんなん信じられる?」(トータス松本)

 クラブ・パラノイアにレギュラー出演しだして間もなく、東京のライブハウスからも声が掛かるようになり、関東でツアーをするようにもなった。'90年の終わり頃には新宿LOFTでワンマン・ライブをやる、というような話しまで現実味を帯び始めていた。レコード会社の人間が頻繁に現れては名刺を置いていくようになった。まわりが急に騒がしくなってきた。森本の鼻息も荒くなった。森本は数少ない音楽業界のコネクションを辿って、あるプロダクションの社長にウルフルズのことをあれこれ相談していた。ウルフルズは大阪の森本の会社に所属し、東京にあるそのプロダクションとの業務提携でメジャー・デビューに向けた体制を作る、森本の構想は膨らんでいった。

 ところがそんなある日、新宿LOFTでのライブ直前に、ウルフルズの4人は珍しく険しい顔をした森本に「大事な話があるから、ライブ終わったらここへ来てくれ」と告げられた。指定のうらぶれた居酒屋は、4人にとってかなり居心地の悪い場所となった。森本が件(くだん)のプロダクションの男に、いきなり喰ってかかったのだ。「もうあれでんな! 一緒には出来ませんな!! 」森本は一方的に関西弁でまくし立てた。当然男は腹を立て、思いつくだけの罵詈雑言を森本に浴びせて席を立って帰ってしまった。不必要なほどに明るい蛍光灯が、その場をより寒々しい色合いに照らす。沈黙を破ってトータスが森本を質した。「なんなんですか? 」
 この日、プロダクションの男に森本は、「ウルフルズは今後うちでやっていくから」と当たり前のように言い渡された。音楽業界で人脈もなく、音楽ビジネスの知識もない森本には、ウルフルズとの信頼関係しかないと、ここへきて改めて思った。メンバーが欲しそうにしている楽器やアンプがあれば、躊躇なく買い与えた。デモテープが少しでも良い音で録音できるようにプロユースのスタジオを借りた。関東へのツアーではいいライブが出来るようにホテルに宿泊させた。すべて森本が自分で賄ってきた。利害関係にコテコテの人情がドップリと注入され、森本にとってウルフルズはバンドを超えた存在となっていた。だから森本は、当事者全員がいる場で、メンバーがどちらにつくのか、ハッキリさせたかったのだ。
「君らがな、ほんまにあの人とやっていきたいと思うんやったらあの人とやったらええ。ワシなんも言わん。せやけど、ワシとやりたいって思ってくれるんやったら連絡くれー!」
 トータスは、最悪だと思った。森本に対してである。正直すぎる森本の言い方ややり方にもうついていくのは難しいと思った。ケイスケもトータスと同じ気持ちだった。森本と決別する、そこまで思いつめてはいなかったが、ふたりは森本の事務所に出向いた。西日の差し込むオフィスに森本はポツンとひとりきりだった。
「森本さん、この間の話なんですけど……」トータスが言いかけた瞬間、森本が泣き出した。
「すまん。ホンマはあんな風にしたくなかったけど、ワシどうしてもウルフルズやりたい。せやけどワシ、音楽業界のプロやないからどないしたらええんかわからへん。どうしたら君らをスターに出来るかわからへん。せやけどな、ワシ、ウルフルズほんまに好きやねん」
 トータスもケイスケも泣いた。
「森本さん、一緒にやりましょう。会社作って一緒に東京行きましょう」
「おーきに、おーきに……」
 森本の本気に拍車がかかった。
 
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デビュー当時のウルフルズ。
黒田の表情だけ微妙なのはなぜ?

 
 '91年5月、森本の勧めでトータス、ケイスケ、黒田の3人はカンテでのアルバイトを辞めた。ウルフルズをメジャー・デビューさせる、スターにする、その思いだけでさっぱりわからない東京の街と音楽業界の中を駆けずり回った。「原盤権ってなんでっか? 」「契約ってどないしたらええんでっか?」恥もへったくれもなく、わからないことは訊きまくった。「ウルフルズ最高でっせー」「ナニワのビートルズでっせー」吹聴しまくった。そして、東芝EMIが興味を示し出した。森本は覚えたての音楽ビジネス知識とハッタリを総動員してたたみかけ、ほぼ契約がまとまった。
 7月のある夕暮れ、メンバーは淀川の土手で森本が東京から帰るのを待っていた。しばらくすると手を振りながら森本が土手を下りて来た。
「毎度毎度ー。ここにおったかー。えーー、では、報告いたします。先ほど東芝EMIにて無事契約して参りましたーっ!」
 ビールで乾杯した。そのバックでは、淀川花火大会の大玉がドドーンと大きな音を立てて花開いた。ウルフルズの未来を祝福するかのように花火が次々と上がった。しかし、その喜びの輪の中で、ひとり浮かない顔の男がいた。ジョン・B・チョッパーこと黒田である。

(2007年6月21日号掲載)

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コメント (3)

ジュン吉:

始まりが熱いから今もずっと熱いのだと初めてわかりました。そして泣けました!!

Mahalo:

タイスケ社長--

涙がでました。

ウルフルズを育ててくれてありがとう。

BOHEMIというフリーペーパーが出てきた。1990年12月号。そこにあったパラノイアの森本さんの記事から検索して、このページに来させていただきました。で、このフリーペーパーをよく見ると、ウルフルズさんのページも。(笑)森本さんにリスペクトです!

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