メジャーデビュー。その言葉の響きが喚起する“輝きに満ちた未来”に、トータスもケイスケもサンコンも森本も、酔った。ただひとり黒田だけがシラフだった。ウルフルズが認められたという誇らしい気持ちはあれど、自分がプロのミュージシャンとしてやっていけるのか、黒田にはまったく自信がなかった。ともすれば、ベースを弾くという行為そのものにトラウマがあった。「メジャーデビューかぁ… …オレどないなんねやろ」一際大きな花火を見ながらボーッとしていると、トータスの怒声が炸裂した。
「オマエはこんな時に何暗い顔しとんじゃ! うれしないんかっ!」
元々が初心者だったため、バンドの成長にプレイヤーとしての技量が追いつかず、そのために幾度となく メンバーから小言を言われ続けてきた。特にトータスからは、散々怒られた。それでも、バンドを辞めなかったのは、そこにトータスやケイスケがいるからだった。彼らと一緒にいるのがとにかく楽しくてしようがなかった。だから、彼らが東京に出てプロとしてやると決めた以上、黒田はそれに従うよりほかなかった。なぜなら、彼らと離れてしまった自分は、つまりウルフルズのメンバーでなくなった自分は、ただの黒田でしかないのだから。それは、ベースがうまく弾けないことよりもツライことだった。
いよいよ'91年の11 月にメンバー4人の東京への引越しが決まった。しかし黒田には荷物をまとめる以外に、大事な仕事がひとつあった。親にバンドでデビューするということを言えないでいたのだ。これまで、バンド活動をやっていることも親には隠していた。そこには、自分がバンドなんて、という気恥ずかしさと自分にだって何か出来る、という親への捻じ曲がったプライドがあった。そのふたつが渾然一体となって、バンド活動は黒田にとって親に内緒の“禁じられた遊び”となっていた。しかし、事ここに至っては腹をくくるしかない。素直に打ち明けると、案の定、猛烈な反対にあった。黒田は思案した挙句、森本に相談し、事務所の社長として森本が黒田の両親を説得するということになった。いざ、会見の場。黒田の母親は森本に言った。
「うちの子はバンドなんて出来る才能ないから、東芝からデビューするんやったら、東芝の社員にしてください」
結局、黒田は両親の了承を得ることが出来なかった。なかば家出のような格好で東京へ向かった。東上する車中、高速道路の変化に乏しい景色を見送りながら、まぁ、なんとかなるやろ、と思った次の瞬間、一体自分はこの先どうなるのだろう? 言いようのない不安に襲われた。そして思い出すのは、先月に体験した地獄の合宿レコーディングだった。
東京へ移る1ヵ月前、ウルフルズは1stシングル『やぶれかぶれ』のレコーディングのために、山中湖のスタジオで一週間の合宿をした。初めての本格的なレコーディングにメンバー全員緊張を隠せなかった。「自分達の曲を知らんおっさんらに勝手に変えられたらどうしようとか(笑)、今考えたらかなりしょーもないこと気にしてた。もう、怖くてしようがなかった」(トータス松本)
1曲を録るのに何十テイクもかかった。その中でも黒田は悲惨だった。プロデューサー的立場のサポートミュージシャンの標的となった。レコーディング途中でひどい胃痛に襲われ、医者に罹ったりもした。泣きながら練習した。最後のほうには、上半身裸になり、そこに“男一匹”の落書きをされ、レコーディングを終えた。それもこれも、ベーシストとしての自分の力量が足りないからだ、そうわかってはいながらもベースという楽器との向き合い方がこの時点でも黒田にはわからなかった。
年が明けて、'92年1月5 日。市ヶ谷の一口坂スタジオで1stアルバム『爆発オンパレード』のレコーディングが始まった。そこでもやはりベースのレコーディングは苦難の連続だった。「ひとつの曲がなんとかかんとか終わったら、『お前はメトロノームで練習しとけ』って黒田が言われてる。帰り支度を整えて通路をふと見たら黒田がメトロノームをカチカチやりながら練習してた。もうなんか、見てられへんというか……。あいつもビビッてもうて、メンバーに対してただただ申し訳ないっていう感じやったなぁ」(トータス松本)
そんな中、最後の曲のレコーディングで黒田は、何かをつかんだ。「ベースってこういうふうに弾けばええんや」あまりにも遅すぎるベーシスト、ジョン.B. チョッパーの誕生である。
「例えば、メトロノームで練習せえって言われても、それをなんでやるのかがわからんかってん。このフレーズ弾けって言われたら弾けるけど、じゃあ、なんでこのメロディにこのフレーズなのか、というのが理解できへんかった。元々こうなりたいとかベースやりたいっていうところから始まってないから、何か本質みたいなもんをつかんで、向かっていくもんがないと前に進まれへんかってん」(ジョンB)

ジョンBはこの時点では、「ブラック田ヨンピル」とクレジットされている
ジョンBのつかんだものが何だったのか、それはもちろんものすごく感覚的で、しかし確かなものだ。人はそれをグルーヴと呼び、ソウルと呼び、さらにオリジナリティと呼ぶ。この時点ではまだかけらしかつかんでいなかったが、ただジョンBがベーシストとして向かうべき方向にはぼんやりとした灯りがともされた。だが、記念すべきウルフルズの1st アルバムには、残念ながらジョンBのグルーヴは刻み込まれていない。そういった意味でこのアルバムからは、まだウルフルズの音は聴こえてこない。あるのは、勢いとガムシャラさ。その裏返しである、未来への不安。きちんとしたレコーディングをすることによって突きつけられた自分達の甘さ、もろさ……。録音作業がすべて終了した時点で、ト
ータスは次のアルバムのことを考え始めていた。「ウルフルズの音楽ってなんや?」永遠の命題。ーー15年後の、つまり現在のトータスはこの命題に次のように答えた。
「ウルフルズの音楽っていうのは、メロディだけでも成立せぇへんし、リズムだけでも成立せぇへん。そのどっちでもないもの。スーパーマーケットで流れてるイージーリスニングにはなれへんし、実は聴きにくいんやけど、体にスッと入ってくるような音楽。だから例えば、ケイヤンはメロディだけを捉えようとするし、サンコンはリズムで持っていこうとする。でも黒田はベースという役割やからかもしれんねんけど、そのどっちでもない感じ、ウルフルズの音楽の本質をわかってる気がする」
奇しくも、1stアルバムのレコーディングで居残り練習をさせられていたジョンBこそが、トータスと並んで今はもっともウルフルズの音楽を理解しているという。
「自分では音の方向は見えてる。そしてそこに何があるかって言ったらウルフルズの音があるねん。湿ったり外に向かって開かれてなかったり、そんなんはウルフルズの音楽ちゃう。人が聴いて、観て、それでエネルギーが重なっていく音楽じゃないと意味が無い」(ジョンB)
'92年5月13日、1stシングル『やぶれかぶれ』、6月17日、1stアルバム『爆発オンパレード』がリリースされた。しかし、夢にまで見たメジャーデビューの輝きは、「ウルフ
ルズの音楽ってなんや?」答えの出ない闇にスッポリと飲み込まれていった……。
(2007年7月5日号掲載)
